読み終わった村上春樹さんの『職業としての小説家』。
いやー、面白かった。
先日、<途中で読書感想文>というブログに書いたのは、
「僕は、村上春樹さんは事前に構成を組み立て、結論から逆算して小説を書いているのかと思っていた。でも、本書を読んでわかったのは、村上さんは何も考えずに小説を書きはじめていたということ。――あんなにも複雑な構成の小説を事前に構成を組み立てることなく人は書けるものなのか?」
という、疑問というか、驚愕というか、そんなことだった。
でも、本書を最後まで読んで、ようやくこのモヤモヤしていた部分がキッパリと晴れた。村上春樹さんは「あとがき」にちゃんと答えを書いてくれていたのだ。少し長くなるが引用したい。
最後にお断りしておきたいのだが、僕は純粋に頭だけを使ってものを考えることが得意ではない人間である。ロジカルな論考や、抽象的思考にあまり向かない。文章を書くことによってしか、順序立ててものを考えられない。フィジカルに手を動かして文章を書き、それを何度も何度も読み返し、細かく書き改めることによってようやく、自分の頭の中にあることを人並みに整理し、把握していくことができる。/『職業としての小説家』 あとがきより
ここを読んで僕は「あぁ」と至極納得して、自分なりに次のように理解した。
村上春樹さんは構成をつくっていた。それは僕が考えるような事前の簡略的な設計図などではなく、小説そのものを書くことが村上さんにとっては構成をつくることでもあった。その方法が村上さんにとっては最も楽しく、心ワクワクしながら書くことができるし、頭の中を最大限に整理できる方法だったのだ、と。
「あとがき」で、読者が疑問に思うこともちゃんと答えてくれているところがさすが一流の人である。
さて、少し話は変わるが、
最近、仲の良い友人のこーすけくんがよく「どうしたらモテるかなぁ」という話をする(飲み会のネタみたいなもんである)。
そこで僕らはああでもない、こうでもないと、正解もなく、そして全く意味もない話で、頭の体操をしながら酒を飲むのだが(これが楽しい)、村上春樹さんの本を読んでここに1つの正解があるなと思った。
それは、思想で遊べる大人はかっこいいということだ。
たとえば、この『職業としての小説家』という本。読んでいて最高に面白かったのだが、村上春樹さんはこの本を全部で12ページ(この本は12章だて)で書けただろうなと僕は思った。
余計に膨らましてページ数を稼いでいるという話ではない。本書はめちゃくちゃ濃密で、1ページとして無駄でつまらないところはないのだ。
どういうことかというと、
村上春樹さんは何かのテーマや物事に対して、「自分の答えはAである。それは(自分の中では)揺るぎないものだ」という明確な結論をもっている人だと思う。
でも、最初からそうは絶対に言わない。
Bかもね、Cということもあるよね、D・・・うーん、やっぱAかな。
みたいな書き方をする。つまり、思想で遊ぶことができる人なのだ。
身近な話でいうと、よく飲み会で(特に男に多いが)話の端から「それはAだよ、A。絶対に、ぜ~ったいにA以外ない!」と、いきなり自分の結論を言い切って、BやCやDの意見のものを否定し、論破しようとする輩がいる。こういう人が僕は大嫌いだ。
誰も結論なんて聞いてないのだ。
確かにビジネスの世界では、結論から言うことが求められ、徹底されているかもしれない。
でも、遊びの世界にもそれを持ちこむのは無粋ではあるまいか。
Bかもね、Cということもあるよね、D・・・うーん、やっぱAかな。
という遊べる振り幅のある人のほうが僕は好きだし、素敵だなと思うわけである。
かくいう僕もときどきそういうことをしてしまって猛省するのだが、いつか村上春樹さんのように思想で遊べる大人になりたいと心底思いましたね。
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